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久しぶりにツルゲーネフの「はつ恋」を読んだ。
誰もが経験することだけれど、今となっては全然ほろ苦くない甘い思い出。
1981年の夏、大沼小学校6年5組の放課後の教室で、
僕とたーちゃんとワギの3人は、異常なテンションで盛り上がっていた。
ワギのお兄さんが通ってる厚木の中学校に、県内ナンバーワンのかわいい中学生がいるらしいのだ。
僕とたーちゃんは、それはそれは相当かわいいというその中学生の話をワギから聞かされてるうちに、
胸のなんかこうどきどきする、徒競走の前の感覚に似た、のどの渇きさえもともなった緊張感を抱いていた。
ワギが言うには、聖子ちゃんよりもかわいくて、河井奈保子よりもグラマーで、
三原順子よりもメンチが効いているらしいのだ。
メンチ?の意味を知らない僕とたーちゃんは(多分ワギも)、
これからその中学生を見に行こうということになった。
僕ら3人は、当時大流行の5段式変速機付き自転車を飛ばして、
隣のそのまた隣街の厚木市睦合(むつあい)中へと向かった。
厚木に入ると、僕らの住む相模原市よりも、なんとなくガラの悪いお兄さんやお姉さんたちが増えていた。
僕らはギアを3速くらいに落として、お兄さんたちの歩行を妨げないようにしてペダルを漕いだ。
「カナカナカナカナカナ......」と、蜩(ひぐらし)が鳴いている声が聞こえるころ、
僕らはようやく睦合中に着いた。
放課後の睦合中は下校時間を1時間程過ぎた辺りで、人影もまばらだった。
僕らは正門の前で立ちすくみ、一人一人をじっくりと目で追っていたけれど、
毎回睨まれるので、次第にうつむきながらチラ見していた。
そのうちワギのお兄さんがやって来て僕らを見つけると、呆れたように話しかけて来た。
「何しに来たんだ?」
ワギは恥ずかしかったのか、「カブト採りに来たついでだよ」と言った。
僕とたーちゃんは、県ナンバーワンの中学生がいるかどうかを聞いて欲しかったのだけれど、
制服の丈の短いお兄さんを前にしては、何も言えないでいた。
すると、諦めかけた僕らの横を、一人の中学生が通り過ぎようとしていた。
「何だ?小泉、忘れ物か」
ワギのお兄さんの一言で、僕らは我を忘れた。
「なんか呼び出しくらっちゃって」
「熊か?」
「そんな感じ」
そのほんのわずかなひとときの中、僕は今まで嗅いだことのないくらいのとってもいい匂いの中にいた。
僕の胸の高鳴りは沸騰点に達していて、日暮れの中の彼女は真夏の太陽よりも眩しくて、
僕は自分が真っ白な印画紙だったかのように、その瞬間を胸に焼きつけた。
それから彼女に会いに厚木に行くことはなかった。
彼女は厚木ではなくて、テレビの中にいたからだった。
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| 小泉今日子 |
1982年3月21日「私の16才」でデビュー。
85年の「なんてったってアイドル」で、ナンバーワンアイドルの地位を不動のものにする。
89年には当時UKで流行した、ストーンローゼスをはじめとするアシッドハウスムーブメントの要素を取り入れた「KOIZUMI IN THE HOUSE」を発表するなど、近田春夫、藤原ヒロシといった絶えず時代に敏感な人たちを惹き付ける魅力は、現在も失われてはいない。
今年デビュー25周年を迎えるにあたって、歌手活動も再開した。
今から約10年前、僕が世田谷の家具屋の工房にいたころ、家具を納品しに行きました。
小泉さんにはあの時のことなんて言えませんでしたけど、
うれしくってしばらく仕事が手につかなかったほどでした。
僕が一番好きなのは「夏のタイムマシーン」。
毎年26年前のあのひとときを、蜩の鳴く声と一緒に思い出すんですよ。
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(文&イラスト: special source モリソン小林)
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「めざせロッキンオン」も意外や意外、まる2年間も続きました。
モノ作りとまったく関係のない内容にも関わらず、これだけ続けられたのは奇跡に近いのではないでしょうか。
このサイトもおよそ1万人の方が見てくれるようになりまして、コンテンツも充実してきましたよね。
建築家、デザイナーに人気の「R師弟」や「ファクトリーガール」でもおもしろい画モノも見られたりします。
NPO法人としての活動内容に賛同して、バナー協力していただける企業も加わりました。
そこで、そろそろモノ作りとまったく関係のないロッキンオンは一歩引いたところで見てもらおうと思います。。
今までは、トップページのジムモリソンのイラストをクリックして、このコラムへ来てもらってましたが、
次回からは文字だけのアクセスになります。
ロッキンオン読者以外の方はアクセスがわかりにくいように変わりますので、ご注意を。
それではまた。
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