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少し前のお話ですが、昨年の秋に自分にとって
とても意味のあったお仕事のお話です。
それは、松江にある小泉八雲記念館の依頼による
「怪談」などで有名な小泉八雲
(ラフカディオ・ハーン 1850〜1904)の遺品の1つである
文机と椅子の複製製作の依頼でした。
「没後100年記念 小泉八雲展」の為に
日本全国をまわっていく為のものである。
僕は松江出身でもないし、親戚含めても知り合いなんて
程遠いというか全くいない。
なんで僕に声がかかったのかが初めは吃驚したけど、
よくよく聞いてみると僕の作っているものをだれかが見て、
紹介、紹介また紹介とくり返してそのお話はやってきたようだ。
だけれどもどうしても僕には「こんな若僧になぜ?」
という気持ちでいっぱいだった。
腕のたつ職人さん達が山程いるのに・・・?
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半信半疑のまま、言われたとおりに待ち合わせの羽田空港へ。
すると紺色のスーツをビシッと着た方と
わりとラフな服装でリュックを背負っている方の二人が待っていた。
渡辺様ですか?なんて声をかけられて、取り急ぎ名刺交換。
それではいきますか?と、足早にチェックインそしてフライト。
機内での差し障りのない談笑もそこそこに、あっというまに島根県。
僕らのバスしか走っていない閑散とした6車線道路を走りながら、
さすがは竹下元総理のお膝元だな、
なんて政治力を感じているうちにあっという間に小泉八雲記念館に。
「はじめまして渡邊です。」
「わざわざありがとうございます、小泉凡と申します。」
ん!?曾孫さんだ。
そしてここからが本題。
八雲愛用の遺品であり、身体的特徴の1つ片目が不自由で
目がわるい事を示す背の高い文机と椅子の複製のお話。
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今までに何回も複製には手をかけていたのだが、
一度もうまくいかなかったそうです。
その理由はハッキリとは答えていただけなかったのだが、
お話をしていくうちにそれはハッキリとわかった。
そして、僕が呼ばれて、期待されている内容の事も
同時にハッキリとわかったのである。
今まではただ、同じものを作ろうとしていたのであって、
汚れや手あか、キズまでも再現しようとしていたようだ。
当然、表面的なものばかり追っていたので
見た目にはそれで良かったのかもしれないが、何かが違う。
その精巧に作られたコピーでは何かが足りないのである。
ただつくるのは誰でもできるのだが、
そのものの背景も探って欲しいという依頼のようにも感じられた。
プレッシャーをチャンスと捉えてしまう僕は
生意気にもこんな事を提案させて頂きました。
「レプリカやコピーを作るのではなくて、
当時八雲が手に入れた時の文机と椅子を作りましょう。」
「汚れとかキズとかつけて似せて作るのはやめて、
当時の八雲の気持ちを想像しましょうよ。」
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その後納めさせて頂いた展覧会は無事におわり、
その文机と椅子は松江市に寄贈されました。
僕はこの「複製」と呼べるかはわからないが、
このことで2つの事を感じました。
貴重な遺品をじっと見る事によってその背景が想像できる事。
そしてそれを確実に記録として残さなければならないという責任。
材料や寸法等は当然なのだが、机は何度も手直しをして
使用していた事、椅子の座面が左右非対称な事やその座面は
なぜか製作時の切り損じがそのまま残っている事などなど。
技術者でしかわからない事も今回わかったのである。
図面や記録をまとめる責任があるように思え、
ゆっくりとまとめている。
製作時の失敗を容認する、職人想いな人だったのであろうか、
それとも仲の良い職人さんがそばにいたのであろうか。
想像は膨らむ。
複製を作る事は歴史のひもを解く事でもあるようにも思える。
学者だけではないぼくら技術者も歴史のひも解きに関れる
という事実を手にいれることができた。
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