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江戸時代の元禄期に開花した化政文化の中で生まれた「江戸趣味」において、
職人気質に必要な『 粋 』『 渋 』という精神的な感覚が流行しました。
『粋』とは、威張ったこと、理屈をこねること、察しの鈍いこと、形式・儀礼
にかかわることなどを嫌い、世話人情を理解する洗練された都会的感覚をさすようで、
町人の世界であった遊里の雰囲気が洗練・円熟するにつれて、
このような感覚がよし、とされました。
『渋』とは渋味というように、表面は地味でも、裏面では贅沢を極めるといった感覚に基づいていて、
いわば美の内向化したものだそうです。
現代の職人さんたちの間でもこの感覚は引き継がれていて、僕らのまわりにも
知らない人から見たら煙たがられるような昔気質の職人さんがたくさんいます。
「サガシモノ」のページで紹介している人たちもまた然りです。
さて、それでは「職人」とはどういう人のことをさすのでしょうか。
「職人」の内容には時代的な揺れが見られます。
一般に「職人」というと、工匠・細工師と解されます。
近世の身分制度でいえば、士農工商の工が職人というわけです。
けれども「職人貧乏人宝」ということわざがありますが、
このことわざにおいては職人は工匠や工人を直接はささなくて、
「職人貧乏」は、「器用貧乏」とほぼ同義です。
また「職人の妻と金てこは宝」ということわざの職人の妻は、細工師の連合いをさすのではなくて、
働き者で才覚の良い女房ということのようです。
つまり、「職人」とは、業種をいうのではなくて、器用・巧者・働き者といった意味に用いられていたようです。
これは、技術を身に付けているいわゆる職人が、働き者で、器用・巧者・努力家といった美点を、
その属性としてみとめられていたからです。
「職人」の本来の意味、あるいは範囲は何かということですが、
「職人」とは、要するにその職の人、すなわちその道のエキスパートということになります。
僕ら現代手工業乃党の活動の一環として、
作り手からものつくりの素晴らしさを伝えたいという趣旨があります。
「職人手物云ふ」というように、職人それぞれが何も言わず語りかけて来る「手」をもっている
ということを伝えていけたらと思います。
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| 椅子張師 ― |
近世の職人の範疇では、現代における椅子張というジャンルは存在しなくて、
「今様職人尽百人一首」の中にあるように、皮匠という職人が最もその系統に近い。
現代では、多種多様な生地や皮革を使い、木組みや鉄軸の下地に
綿やウレタンフオムなどをくるんで、いかなる三次元的曲面をも張りぐるんでみせる。
ミシンなどでの縫製技術もまた彼らは得意とする。
分厚い皮革をも縫製し堅い生地を張り込む技術はもちもん、
うすい生地や伸縮性に富む新素材などを張り込む技術も優れている。
昨今では、椅子やソフアだけではなくて、壁や造作における装飾としてのものや、
防炎加工が施された生地を用いた照明セードなど、
意匠士や作り手によって無限の発展性を期待される仕事である。
また、木組みを新しく製作する以外に、張り替える場合においても、
劣化したクッションから座りを調整するして張り替える。
既存のものを有効にリサイクルできることから、環境への意識も高い職業といえる。
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| 沖縄そば職人 ― |
うどん・そばの類は当初は菓子屋の副業として作られていたとするのが、近世の説だが、
寛文年間に浅草寺境内で、参詣客目当てに、黒椀に盛った生そばが売られていたと言われ、
寛文四年に江戸にけんどん蕎麦切りが登場するに及んで広く市販されるようになった。
江戸そばではそば粉が十割もしくはニ八割でつなぎ二割饂飩粉を混ぜているが、
沖縄そばは小麦粉十割なので、そば粉を三割以上使用していないため、蕎麦ではない。
名称としてのそばを認められたのは昭和五十二年と、最近になってからである。
十五世紀から十九世紀にかけて琉球王朝を訪れていた
中国からの冊封使によって伝えられたが、小麦粉は高価だったため、
宮廷料理としてのみ食されていた。
大正時代まで汁は豚だしベースに鰹節と塩、
そして大量の醤油を使用していたため、関東風に黒い汁だった。
大正十三年ゆたか屋が塩味を利かせただけの透明な汁を生み出し大繁盛する。
これが原型となっている。
現在ほとんどがラーメンと同じでかんすいを使用して製麺するが、
昭和三十年頃までは、木の灰を真水に浸してその上澄みを粉に練り込んでいた。
木灰には無機塩類が豊富に含まれ、強いコシと、独特の風味を生んだ。
上澄みの取り方によって麺の色は違い、
名護で初めて開業した梅屋の麺は黄色く、国際通りの井筒屋は灰色だったと言われている。
現在、昔ながらの製法による手打ち麺が人気となっていて、
職人の打ち方によって堅麺やちぢれ麺等の違いは有れど、絶妙なコシを生み出す。
沖縄では伝統的な職業がいくつもあるが、
こうした食に関する伝統を守ろうと志す職人も増えつつある。
これは沖縄が独自の郷土愛をいつまでも失わない強い絆で結ばれているからに他ならない。
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